整体って?partⅢ(中板橋のアジャスト接骨院)
PARTⅢ
●大正~昭和初期には、米国から手技療法が導入され、従来の日本的、中国的な手技療法・民間療法に影響を与え、大いに発展。
●大正期には、山田信一が米国からオステオパシーを日本に紹介。山田はオステオパシーと他の療術と合わせて編み出した方法を「整体術」として紹介したため、オステオパシーは「オステオパシー」ではなく「整体術」の名で普及・発展。
●カイロプラクティックの導入はオステオパシー導入より少し遅い。これらやスポンディロセラピーといった脊椎に働きかける手技療法が導入され、このうちオステオパシー、もしくはオステオパシーとカイロプラクティックが「整体」「整体術」と訳されたようである。
●これら米国伝来の手技療法に、様々な技術が取り入れられて日本で発展。治療家は自分の治療法をオリジナルとして独自の名前を付けることも多く、ある「整体」が何をベースに何の影響を受け、どのような経緯で現在の形になったかは、しばしば忘却されたり誤解されている。
●大正~昭和期には様々な手技療法があった。「正體術」(正体術)・「正胎」・「整胎術」 と呼ばれるものもあった。
●戦後は野口晴哉の整体操法(野口整体)や、橋本敬三が作った操体法などが有名になったが、これらは整体の源流の一つといわれる。霊術家の弟子であった野口晴哉が整体に与えた影響は大であるが、彼の整体操法(野口整体)の脊椎操法は、アメリカ伝来の療法の影響を受けていると考えられている。
●整体と呼ばれる療法は、日本古来の柔術と中国伝来の拳法が生み出した「活法」・「骨法」 として受け継がれてきた救急蘇生術、活法に南蛮渡来の外科と蘭学由来の解剖がもたらした知識が織り交ざって誕生した整骨、中国から伝わり日本で独自の発展をした鍼灸、中国医学の推拿(すいな)から日本固有の発展をした按摩(あんま)、漢方医学や民間に伝わるさまざまな治療法の技術、また治療法に限らず、呼吸法、気合術、昔からのお産の知恵など、近代医学(西洋医学)を支える解剖学・生理学・病理学など が、当時の施術家たちの独自の工夫や独自の思想 によって混ざり合っており、定まったやり方はない。
●オステオパシーやカイロプラクティックなどが入ってくる以前、日本の手技療法は、殆どが経絡及び経穴(つぼ)という身体観を持つ中国医学に始まる漢方理論によるものであり、経絡及び経穴に対する働きかけが中心。
●背骨やその周囲に働きかける、脊椎そのもの可動性や弾力を調整するという発想は、あったとしてもごく少数派だった。
●活法や整骨は骨折など怪我の治療が主眼であり、これも脊椎療法とは異なる。日本での脊椎に働きかける手技療法の隆盛は、大正期以降のものであると考えられる。
(以上Wikipediaから引用)
<板橋区 中板橋 アジャスト接骨院>