整体って?partⅡ(中板橋のアジャスト 接骨院)

2022/01/16 ブログ

●歴史

明治維新で日本に海外の情報が大量に流入。明治政府は祈祷や占術、修験道(山に籠っての厳しい修行)を廃止しようと禁止令を出す。

それまで修験山伏が引き受けていた日常の苦しみ・痛みを直接的に解決してくれる呪力へのニーズを引き受ける形で、海外から伝来したメスメリズム・催眠術などと日本の修験道・呪術文化が合わさって生まれたのが「霊術」。

霊術家は明治30年ごろから活動を始め、昭和5年ごろには推定3万人ほどであったという。霊術は、現在の新宗教のルーツの一つ。霊術家が使う治療術としては、祈祷、手当てなどの信仰療法・心霊療法と手技などの物理療法を併用して治療することが少なくなかった。

 当時の日本の霊術家は、医療制度と技術の不備を背景に活動するアウトローであった。霊術には西洋近代医学による正規の医療に足りない部分を補完する面があっ。大正期には当局から黙認されていた。(当時の医療制度は不十分、霊術家がそこを補完)

霊術の大ブームで多くの霊術家が生まれたが、玉石混交であり、誇大広告や子供だましの施術、イカサマ師、詐欺師、催眠術を悪用して犯罪を行う者などがいたため、警察は霊術への警戒を強めた。(怪しい霊術家多かった、政府警戒)

医師会識者たちは、施術内容の医行為との抵触、非衛生的施術、誇大広告による医療への妨害などの問題から霊術・療術を批判。霊術の業界は、大衆の支持を背景に、政府に霊術の公認と制度化の陳情を繰り返したが、霊術は警察の医師法違反事件としての追求が激しくなるにつれ駆逐されていった。昭和5年には、療術・霊術を行うには届け出が必要であること、広告の制限などを含む警視庁令が出された。

霊術などの非正当医療の担い手たちは、似非宗教の教祖と療術師に名を変え、療術への規制も厳しくなると、健康法指導者などに看板を書き換えることとなった。

霊術は、戦後GHQが禁止。終焉。

(霊術・療術⇒消滅⇒次世代・整体へ)

<板橋区 中板橋 アジャスト 接骨院>